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長所も短所も、ただの特徴です。

こんにちは。

のりさんこと、黒田典史です。


自分を受け容れ始めると、だんだん、自分を大切に思えるようになってきます。


こういう状態になったら、けっこう最強です。


なんでかと言いますと♪


自分を好きになるから、他人の評価が気にならなくなる

そしたら、周囲の目を気にしないで、好きなことにチャレンジするようになる。

すると、自分を否定せず、肯定しながら生きるので、ご機嫌な時間が増えてくる

ご機嫌な気持ちで行動をするから、やっぱり結果もご機嫌なものに変わってくる


こんなことが起き始めます。


精神論の話じゃないよ。


ぼくの経験上でもそうだったし、心の状態が良くなると、<strong>自然に視点が「できない理由」から「出来る理由」を見るようなるのが理由です。</strong>


いままでは、すべてが「不可能なこと」だったのが、「チャンスなこと」に変わります。


だから、「自分を受け容れる」ってことが、変なテクニック本を読むより、人生を根本から変えていく最高の方法なんだよね。


でも、


この「自分を受け容れる」ってことが、なかなか出来ないことが多いんじゃないかな。


もうちょい具体的に言うと

_______________


自分の欠点・短所を受け容れること

_______________


これに引っかかる人が多いよね。

そんな心を抱えてる方の相談でよく言われるのが


「欠点・短所みたいな悪いところは、受け容れられません!」

って言葉。

 

ん!?


ムム!?


ちょっと気になります!


そもそも欠点・短所って悪者なの?


たしかに


悪いものを受け容れるのは、ちょっと無理だよね。


でもさ、欠点・短所が悪者になるのは、どんな基準からの悪者なんだろう。

欠点・短所って、【社会の常識】から見て、悪いってことだよね。


そもそも、欠点・短所って言葉がいけない!

長所と同じで、ただの<strong>「個人の特性」</strong>でしかないんだよね。


例えるならさ、


魚が空を飛べないのは、欠点じゃないよね?

鳥が水の中で呼吸できないのは、欠点じゃないよね?


ただ、自分の生きている環境で、有利になったり、不利になっているだけ。

もともとは、良いも悪いもないんだよ。


たとえば、ボクはこんなコトを見てきました。


「行動が鈍い」と、前の職場では言われていたけど、新しい職場では「熟考が出来る頼れる人」と言われるようになった人を知ってるし、


逆に、仲間内では「明るいはっちゃけた性格」と羨ましがられてた人が、職場では「軽率な人!」と言われてるのを見たこともある。


長所も短所も環境でコロコロ立場が変わるんです。


それも、勝手な「他人の評価」でね。


そんな他人の評価で、自分の持っている宝物を嫌いにならないで欲しい。


長所も短所も、ぜーんぶあなたの個性なんだからね。


ちょっとずつ、ちょっとずつ、「個性」として、欠点も受け容れてみて。

心が慣れるまで、まぁ~3ヶ月くらいは時間を見ておいてね。


ぼくが自分でやってみて、ホントにやってよかったなと感じてることですよ。

オススメっすね♪

 

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「寂しさ」って奴がにじり寄ってくる

こんにちは。

のりさんこと、黒田です。


今日は、ちょっとした、幸せになる考えの提案です。


もちろん「そんな考えは嫌だ!」なんて人もいるよね。

そんな人は、世界の多種多様な考えの一つだと思ってください。

 

「寂しい」って言葉があります。


国語辞典を見てみると、意味は「心が満たされず、物足りない気持ちである」って書いてある。


ぼくが、渋谷のスクランブル交差点を眺められるスタバから、夜の交差点を眺めていると、そんな、寂しそうな人たちがたくさんいます。


※上から目線でゴメンナサイ。ぼくも、そんな人達の一人だったんだけどね。

ある意味、「都市」ってのは、この「寂しい」が嫌で集まってきた人たちが暮らしている場所でもあります。


だから、


なにか、ワクワクする楽しみはない?

誰か、楽しませてくれる人はいない?


そんな、「外部」からの楽しさを求めることで必死になってます。

ぼくも、数年前までは、そんな寂しさが、心の中で渦を巻いていた人間だったんだよね。


週末の渋谷や表参道、青山でのパーティだったり、

イベントを主催したり、御呼ばれしたり。


まぁ~とにかく、寂しかったから行きまくってたね。


その時の生活は、今で言う「リア充」ってやつね。


おいしい食事と飲み物があって、

きれいな夜景をビルから眺めて、

たくさんの人たちに囲まれてバカ騒ぎ。


フェイスブックに投稿するネタで溢れていたよね。


でもね。


ぶっちゃけ、満たされることなんてなかった!


楽しい時間が終わって、家に戻ってきた時。

ふと、会場で一人になったとき。


「寂しさ」って奴がにじり寄ってくるんだよね。


その恐怖感が嫌だから、もっと派手に遊び始めます。

そしたら、寂しさは、さらに強くなっていったんだよね。


自分の心次第で満たされるかどうかは関係がなかったんだよね。


だから、


他人から、どれだけ楽しいことを提供されても、

自分をとりまく環境がどれだけグレードが高くても、


寂しさは消えなかった。

寂しさが消えるのは「自分の好きなこと」をやってるときなんだよね。

 

氷点下25度、2月の北海道の某演習場。

自由意思で志願して入学した自衛隊の学校を卒業、戦闘中隊に配属。

演習中の壕内部で、凍ったスニッカーズを自分の班員と分け合って、震えながら食べてたとき心は満たされた。


ホント、甘くて美味かったよ。


自分のビジネスを始めて、初めての売り上げ「500円」を手にした時は、すごく嬉しかった。

たった500円。牛丼しか変えない金額。

でも、思わず涙が出ちゃったよね。


だから、


「満たされる」って心は、自分の心次第なんだよ。


あの明治維新の原動力になった偉人、高杉晋作も

 

「おもしろきこともなき世におもしろく」

 

こう言ってる。


豪華なホテルでのパーティだろうと何だろうと、他人から与えられたものや、まわりを包む環境とかは関係がないんだよね。


自分で望んだことなら、泥沼だろうと何だろうと愉しめちゃう。


まぁ~世の中に溢れている楽しみも、たまにはいいよ。

ほら、合コンとかスゲー楽しいしw


だた、


「雑音」ばかりに耳を貸していると、自分の心の声が聞こえなくなります。


あなたが「行動」を起こす、その時が来たら、

「他人が羨む」ことを基準にしないで、「自分が喜ぶ」ことを基準に行動してください。


そしたら、世の中がもっと、もっと気持ち良い世界に変わっていくからね。

 

 

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一番じゃなくても、一流であればいい

こんばんは。

のりさんこと、黒田典史です。


ぼくらは「競争」の色が強い社会で暮らしています。

だって、日本は資本主義型の国だからね。


※資本主義にも色々タイプがありますが♪


だから、いろんなトコで競争はおきますわ。


同業の会社同士の競争だったり、

会社の中での同僚との競争だったり。

その前は、学校の中での学力や腕っぷしでね。


小学生だと、どっちが背が高いとかの競争のあるかなw


別にコレが悪いとは全然思ってないよ。

コレはこれで良い面もちゃんとあるからね。


ぼくも、昔は「国家」っていう枠で、ウルトラ競争世界にいたこともあったし、お陰でいろいろ学べもしたしね。

一回は、ガッチリ経験しておいてもいいよね。


ただ、ボクは苦手ですけどww。


だけど、


逆に、この競争が得意な人もいます。

だから、そんな人たちは水を得た魚のように、この世界を楽しんでいる。


だから、ぼくが思うのは


<strong>「それぞれが、好きな土俵で生きればいい」</strong>


と思ってます。


そこで問題になるのが、

競争が苦手な人まで「競争」の中で生きているってこと。


ここで苦しんでいる人が多いんじゃないかな。

ぼくも、ココで苦しんでたタイプです。


日々、心を削り取られるような感覚だったよねw


ホントは競うことは嫌いなんだけど、それしか教えて貰ってないから、どうすることも出来ない。


だから、そんな人のために、もっと楽しく生きながら、ちゃんと収入を取るための生き方の提案です。

_______________

「一番」を目指すのではなく、

「一流」を目指してみない?
_______________

こんな提案っす♪

生活の基盤をつくるのに、やっぱりお金は必要ね。

だから、何かしらの仕事が必要だよ。


でも、


もし、月に1回ゴハンと宿を提供する友人が30人いるなら、お金は必要ないけどw

まぁ~さすがにソレは難しい。


だから、ほとんどの人が、その糧を得るために競争をしています。


さて、そんな中での「一番」と「一流」の違いはどんなことかと言うと、


■「一番」を目指すこと

 

これは、今までの競争社会のこと。
誰かと戦って、勝ち続けること。

負けた人は、勝った人のおこぼれしか得られない。

こんな感じです。


じゃ~


■「一流」を目指すとは一体ナニ?


基本的には・・・

誰とも競うことはナッシング!


強いて言うなら、自分との根競べ。


自分のスキルや知識、世界観を深めることに力を注ぐ生き方だね。


山の中で修行している坊さんみたいなもの。

ひたすら自分と向き合ってみる。


そうやって、それぞれの人が、それぞれの「一流」を目指せばいいんです。


本来は、人間には個性があるから、自分に素直な限り、みんなやりたいことはバラバラ。

だから、だれとも戦わない。


でも、今の世は、自分を愛する方法を知らないから、代わりに、他人からの愛や承認をもらいたい人が溢れてる。


だから、


人からわかりやすく、賞賛されやすい、お金・ステータス・ファッションの産業が人でコミコミの過剰競争になってるんだよね。


ん~なんかモッタイナイっすね。


ぼくのライフスタイルとビジネススタイルは、この「一流」を目指すタイプの方です。

そうやって、人の喜ぶものをつくってビジネスをやるんです。


おかげさまで、楽しいし、気も楽だよね。

賞賛はされないけど、それでいい♪



「一番」の人と、「一番」の人が出会うと、そこで競争が起きます。


「一流」の人と、「一流」の人が出会うと、認め合って協力します。

前者が、20世紀型資本主義

後者が、21世紀型資本主義。「やさしい資本主義」とも言えるよね。

人間は、自分のことなら解決が出来る力を備えています。

だから、自分の「一流」に集中することが、自分らしく生きれる近道になるよ。

 

 

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